ITmedia NEWS > 企業・業界動向 >
SaaS セレクト with ITreview

円安でも安くAWSを使う方法 SaaSスタートアップが弾き出した意外な試算

» 2022年07月04日 07時00分 公開
[吉村哲樹ITmedia]

 2022年3月から急激に進んだ円安の影響は、IT業界にも大きく波及している。特にAWSやMicrosoft Azureなど、米国のベンダーが提供するクラウドサービスを大々的に導入している企業は、利用コストの面で少なからず影響を受けているようだ。利用料金が米ドルで請求されるサービスの場合、円安が進めば進むほど日本円での支払い額は高くなり、利用企業は実質的に値上げと同等の影響を受けることになる。

 建築・建設業界向けSaaSの開発・提供を手掛けるスタートアップのアンドパッドも、そうした円安の影響を受けた企業の1社だ。同社は施工管理アプリ「ANDPAD」をはじめ、建築・建設業界に特化したさまざまなSaaSを提供しており、そのインフラとしてAWSをはじめ各種クラウドサービスを導入している。

 「アンドパッドではクラウドインフラの冗長性や耐障害性などを加味し、複数のクラウドサービスを併用しているが、中でもAWSは最も適用範囲が広く、その利用コストの節約に長らく取り組んできた」──こう話すのは、同社の下司宜治さん(VP of Engineering)。

photo 下司宜治さん

 AWSの利用コストをなるべく抑えるために、長期契約によって利用料が大幅に割り引かれる「リザーブドインスタンス」を活用するなど、これまでさまざまな工夫を凝らしてきたという。アンドパッドによるコスト管理の全容を下司さんに聞く。

一定期間の利用を確約すれば安くなる「リザーブドインスタンス」

 リザーブドインスタンスは、あらかじめ一定期間の利用を確約することで、AWSのサービスを安く使える料金の支払い方だ。契約期間は「1年間」「3年間」から選択可能。利用料金の支払い方法も、契約期間中の料金をあらかじめ一括して支払う「全額前払い」、半額を前払いして残りを毎月支払う「一部前払い」、全額を月払いする「前払いなし」から選べる。

 利用料金の割引率は全額前払いが最も高く、次いで一部前払い、そして前払いなしが最も割引率が低い。利用コストをなるべく抑えたい場合、全額前払いを選択するのが一般的だ。しかし下司氏によれば、円・ドルの為替レートの影響を加味すると、必ずしも全額前払いが最も得とは限らないという。

為替動向によっては「全額前払い」より「一部前払い」の方が安くなる

 アンドパッドでは2月に新しくAWSのリザーブドインスタンスを契約する話が持ち上がったが、当初は為替レートの影響はほとんど考慮に入れていなかった。当時は為替レートがまだ比較的安定しており、その影響を考慮に入れる必要性はほとんど感じていなかったという。しかしその後急速に円安が進行し始めたことを受けて、急きょ為替レートの影響を加味したAWS利用コストのシミュレーションを実施することにした。

 「このまま円安が進行した場合」「一気に円高に転じた場合」「少しずつ円高に転じる場合」など、為替レートのさまざまなシナリオごとに、契約期間中に支払うAWSの利用料を「全額前払い」「一部前払い」「前払いなし」それぞれで試算。その結果、意外なことに全額前払いより一部前払いの方が安くつくケースがかなり多いことが判明した。

photo 「このまま円安が進行した場合」のシミュレーション結果
photo 「一気に円高に転じた場合」のシミュレーション結果

 もし為替レートがこの先も現在の水準で推移するのであれば、当然ながら全額前払いが最もコスト効率に優れる。しかし、もし将来的に円高に転じるのであれば、円安の今全額を前払いしてしまうより、将来円高に転じた際に一定額を支払った方がトータルでは日本円で支払う金額が安くなる可能性がある。

 最終的にどちらが安くなるのか、そしてどれだけの差額が生じるかは、「為替レートの予測値」と「AWS利用料金の割引率」の掛け合わせで決まるので、一概には言えない。ただし契約直後に円高へと転じた場合には、契約時点で全額を前払いするより、半額のみを前払いして残りを月払いにした方がトータルコストを低く抑えられるケースが考えられる。

 さまざまな為替動向のシナリオに合わせてこうしたコストシミュレーションを実施した結果、同社では最終的に「一部前払いが最もコストを抑えられる可能性が高い」と判断して、一部前払いによる契約を選択したという。ただし当然ながら、このシミュレーション通りに行くかどうかは、今後の為替動向次第で決まる。

 「アンドパッドは最終的に一部前払いを選択したが、将来の為替動向をどう読むかは会社ごとに判断が異なる。結局のところ、その会社が為替をはじめとするリスクファクターをどう扱うかによって、クラウドの契約方針も変わってくるのではないか」(下司氏)

 契約期間については、基本的に1年間とした。リザーブドインスタンスは前払いによって料金が安くなる一方で、後からサービスのスペックなどを変更できない。アンドパッドの場合、ANDPADの成長スピードが早いことから、3年間スペックが変えられないのはリスクになると判断したという。

利用料金が安ければ良いわけではない 下司さんの“コスト観”

 今後かかるコストをシミュレーションし、より安く抑えられる手段を模索したアンドパッド。しかし下司さんは「必ずしも利用料金が安ければいいというわけでもない」と話す。

 「例えばエンジニア1人が1カ月かけてコストシミュレーションを子細に行った結果、年間10万円節約できる契約方法を割り出せたとして、それが果たして会社にとって真の利益につながるのか。それより、その1カ月の間にサービスの設計開発や技術負債の解消の作業に当たってもらった方が、よほど会社にとって高い価値を提供できるという考え方もある」

 事実、アンドパッドではコストシミュレーションを行うとき、必要以上の時間や手間をかけないことを心掛けたという。ただしこのあたりの考え方も会社によってまちまちだ。何よりもコスト削減を優先する組織であれば、コストシミュレーションに相応の時間や工数をかける価値はあるかもしれない。

 一方で、今回のようなシミュレーションの方法論を確立できたこと自体は、会社にとって価値が大きいと下司さん。今後新たにAWSのリザーブドインスタンスを契約する際には同様の手法を用いて、速やかに自社に適した契約形態を導き出せるようになったという。

 コスト改善への見方が変わる利点もあった。今回のような取り組みについて「エンジニア組織が単独で行うより、経理部門とも連携しながら行う方がうまくいく」と下司さんは振り返る。

 ドル建ての請求に対して、会社としてどのようなお金の流れをたどって最終的に料金を支払うことになるのか。その構造をきちんと理解することが、会社全体としてのコスト体質の改善につながるという。

 「今回のAWSの契約に当たっても、経理部や管理部と相談しながら検討を進めたことで利用料金を支払う際のお金の流れを理解でき、最終的な判断につながった。今回のように為替が絡む話となると、やはり技術部門だけでは理解が及ばない部分も多々出てくるため、関係部署と連携しながら適切なコストシミュレーションを行うのが得策だろう」(下司さん)

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.