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「生産性という呪い」から逃れた先に待つ、新たな地獄とは労働者の「見捨てられ不安」(1/3 ページ)

» 2020年09月16日 08時00分 公開
[真鍋厚ITmedia]
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 巷間(こうかん)で話題のビジネス書や自己啓発セミナー、スキルアップ系のオンラインサロンなどでお題目のように唱えられている「生産性」という言葉。「劇的に生産性を上げる方法」「生産性を上げる7つの習慣」「幸福な人ほど生産性が高い」「生産性を上げて定時に帰ろう」云々(うんぬん)……。

 気付けばわたしたちは、のべつ幕なしに「生産性という呪い」にさらされています。

 しかも恐るべきことに、この呪いはうわべだけのものではありません。「あいつは生産性が低いから使えない」といった嘲笑レベルの会話にとどまらず、「君は他の社員と比べて生産性が低すぎる」といった言辞が退職勧奨の常套句(じょうとうく)にもなっているからです。

photo 「生産性向上」を強いられ続ける現代のビジネスパーソン(写真はイメージ、提供:ゲッティイメージズ)

労働者の「見捨てられ不安」

 けれども往々にして「生産性」が意味するところは定かではありません。狭義の労働生産性というより、数値化できる個々の業績やパフォーマンスを指している場合が多かったりするからです。そのような次第でわたしたちは、業務の効率化を図ることに血眼になり、能力開発に膨大な私費を投じることを厭(いと)わず、メンタルも含む健康状態の最適化に余念がなく、家族関係を中心にプライベートの充実にも細心の注意を払うのです。つまり、全人生を「市場が要求する高次の生産性」に適合するようにアップデートを試みているのです。

 その背後には、明らかに「古いバージョンになること」「無価値のレッテルを貼られること」「廃棄されること」への不安がブラックホールのごとく渦巻いています。「誰かのお荷物になっていないか?」「役立たずと思われていないか?」「すでに返品手続きに入っているのではないか?」等々……。

 これをシンプルに「見捨てられ不安」と呼んだのは、社会学者のリチャード・セネットでした(『不安な経済/漂流する個人――新しい資本主義の労働・消費文化』森田典正訳、大月書店)。

photo 『不安な経済/漂流する個人――新しい資本主義の労働・消費文化』(リチャード・セネット著、森田典正訳、大月書店)

 経済のグローバル化によって雇用環境や賃金が劣化する中で、労働者にはこれまで以上に恒常的なフレキシビリティ(柔軟性)と学習意欲が求められ、急速な社会状況の変化に伴うでたらめな配置転換と異業種への移行に耐えなければなりません。そんなにっちもさっちもいかない悪夢から逃れようともがく人々は、高い業績を維持し続けるハイパフォーマーや、副業・起業で高収入を稼ぐ成功者になれなくとも、「市場から必要とされる人材」として確実に残れることを切実に願い、少しでも自身の「生産性」を向上させようと躍起になります。

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