実業団のサッカーチームで活躍を夢見た元女性選手が、身内の死をきっかけに「終活」に目覚め、起業して「貴方にふさわしいお墓の在り方」を提案するコンサルタントビジネスを展開している。
厚生労働省の人口動態統計によると、死亡者は今後も増え続け、2040年には戦後最多の160万人以上になる見込みだ。亡くなる人が増加し、墓の多様化もまた進む。納得のいく墓選びをするためのビジネスを「供養のカタチ」というブランドで始めた石原千晶代表に狙いを聞いた。
――元サッカー選手がどうして、「お墓ビジネス」に興味を持ったのですか。
高校、大学とサッカーに夢を求めて、選手、コーチと歩んできました。ですが19歳の時に所属していた実業団チームが廃部となり、一人世の中に放り出される形になりました。大学に進学してサッカーを続けましたが、2006年には現役を引退しました。
その後、沖縄県の那覇市教育委員会でサッカーを教えていましたが、15年に母親が脳梗塞で倒れました。同時にサッカーの教え子が交通事故で亡くなるという悲しい出来事が重なり、転機が訪れました。
それまで人の死は他人ごとでしたが、これを契機に自分のこととしてとらえるようになり、「終活」に興味を持つようになりました。ある時、「終活」セミナーの講座を東京で受講し、その時の葬祭カウンセラーの講演に感銘を受け、エンディング業界にのめりこむことになりました。
――墓石などを販売する石材会社に就職して、お墓に関する知識と実務を身につけたようですが。
転職するなら最後のチャンスと思って、興味を感じていたエンディング業界にチャレンジすることを決意しました。17年に墓石などを販売していた大阪の石材会社に就職しました。大阪・枚方にある霊園に駐在して永代供養墓を販売していました。
具体的には、霊園を訪問した顧客に、石を使ったプレートの新しいタイプの樹木葬を売る仕事です。ここでは人の死を扱う難しさを痛感しました。顧客への応対が暗くなりすぎても良くないし、あまり明るく振る舞うと失礼に当たります。顧客にどんな墓を選ぶかを提案する仕事を受け持ち、営業成績はトップでした。そうした中で、顧客とじっくり話していると、本当のお墓選びのニーズが見えてくるようになりました。
営業1年で成績ナンバーワンとなり課長職に昇格しました。ただ、成績を残さなければならないので、必ずしも顧客にふさわしくない商品の提案をせざるを得ないこともあり、仕事に対して後ろめたさ、もどかしさを抱くようになりました。当時は流行していた樹木葬などを販売していましたが、自分の中でこのまま会社の営業を続けていてよいのか葛藤がありました。
自分の思いに逆らうことができず、顧客にふさわしいお墓選びを提案するコンサルビジネスができないかと思うようになり、18年に石材店を退職して独立する準備を始めました。
――起業する契機になったのが、ビジネスコンテストへの応募だったそうですが。
このお墓選びのアイデアは自信がありましたが、頭の中だけのものだったので、ビジネスとして世の中に受け入れてもらえるかどうか疑問でした。そうした時に、世の中の反応をみることができるのがビジネスコンテストだと思いました。このタイミングで過去に実績がなくても受け付けてくれる関西の女性起業家だけのコンテストがありましたので、18年の秋に思い切って応募しました。
経済産業省が実施する「女性起業家等支援ネットワーク構築事業」の一環として 19年1月に開催された「LED(レッド)関西」というものです。抱いていたお墓選びのビジネスプランをコンテストに賛同する企業約50社の前で5分間のプレゼンテーションで紹介しました。このコンテストは順位をつけず、選ばれても賞金はもらえないのですが、興味を持った企業がサポートしてくれるメリットがありました。
100人以上が応募する中で、私のプランはファイナリストの10人に残り、14社の企業が私のプランに賛同し、サポーターになると札を挙げてくれました。芸能スターを選ぶテレビ番組の「スター誕生」のようなものでした。
サポーターとなった企業は、ビジネスプランを実行する上で企業との橋渡し的な役割をしてくれて、ビジネス経験のない私には大助かりでした。このころインターネットを使った新規ビジネスがはやりだして、葬儀やお墓選びのポータルサイトが多数、誕生していました。しかし、高齢者の多くはネットによる手続きは不案内なことが多く、不満の声が聞こえてきていました。
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