現在は膨大な量の「コンテンツ」と共に暮らすのが当たり前になった。その結果、作品との付き合い方や生活も変わった。そこに戸惑いや違和感を覚える人も少なくない。
では、それは悪いことなのだろうか? 筆者にはそうは思えない。変化は変化にすぎず、いいも悪いも結論づけられるものではないし、「良かった」と思える過去ですら、さらに過去から見れば変化の過程にすぎない。
では、今の状況をどう捉えるべきなのだろうか? 人とコンテンツの付き合い方の変化、という観点で考えてみよう。
冒頭でも述べたように、今は多数のコンテンツに囲まれ、人々が暮らしている。それはどういうことなのだろうか? まずはもう少し、ちゃんと分析してみよう。
今の状況は、2つの変化から生まれたものと想定できる。
一つは、月額料金制による使い放題、いわゆる「サブスクリプション」の台頭。音楽や映像作品、一部書籍などで、コンテンツ視聴の限界が「購入資金」ではなく「可処分時間」に切り替わった。「これ以上見られない」のはお金の都合ではなく、「空き時間が足りないから」ということになったわけだ。
そしてもう一つが、WebとYouTubeなどの「ネットによる無料サービス」の台頭による変化だ。スマートフォンのゲームアプリ(主にフリー・トゥ・プレイのもの)も、ここに含んでいいかもしれない。こちらも費用に依存しないコンテンツ消費、といえるかもしれないが、むしろより大きな変化は、コンテンツの消費単位がより小さなものになった、ということだろう。楽曲なら1曲もしくはサビだけ、雑誌や書籍1冊ではなく記事1本、動画なら短編もしくはダイジェスト……という変化だ。
結果として人がコンテンツに触れる方法も利用単位時間も変わった。その変化の一つが「量の増加」といっていい。
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