1月16日、プジョー、シトロエンなどを中核とするフランスのグループPSAと、フィアット・クライスラー・オートモービルズが合併し、新たに多国籍自動車メーカー、ステランティスが誕生した。
アバルト、アルファロメオ、クライスラー、シトロエン、ダッジ、DS、フィアット、ジープ、ランチア、マセラティ、オペル、プジョー、ラム、ボグゾールという14ブランドを傘下に収める巨大アライアンスである。マニアックな話で恐縮だが、居並ぶブランド同士の実に因縁深い組み合わせが感慨深い。
第二次大戦後の自動車世界にとっては、世界に比類ないナンバー1市場は、圧倒的なまでに北米マーケットであった。だからこそ米国のトップ3が、すなわち世界のビッグ3として名を馳(は)せた。いうまでもなく、GM、フォード、クライスラーの3社である。
そもそも自動車はドイツで発明された。フランス説などの異説もあるが、少数派意見である。19世紀末に登場した自動車はそもそもワンオフ生産の富裕層のおもちゃに過ぎなかった。大量生産という方法によって、大衆に供される日常の移動手段として、1908年にこれを再発明したのがフォードで、それこそが有名なT型フォードである。
自動車の大量生産という概念はすぐに欧州に持ち込まれ、米国生まれのこの新しい概念で、19年に欧州初の大量生産を始めたのがシトロエンである。シトロエンはこの大量生産システムで大成功を収め、世界第4位の自動車メーカーにまで上り詰めた。
しかし、シトロエンの成功は長く続かなかった。次々とニューモデルを投入し、財政に不安を抱える局面に、29年の世界恐慌の打撃が加わる。最後の望みを賭けて開発されたのが、シトロエンの代表作の一つとなった7A、通称トラクションアバン(前輪駆動)だ。そのために工場の大々的なリニューアルまで計画した。
しかし残念なことにこのトラクションアバンの完成を待たずして、シトロエンは34年に財政破綻に陥った。買手として名乗りを挙げたのはGMとミシュランだったが、フランス政府の仲介により、次のオーナーはミシュランに決まった。すでにこの時、米国の自動車メーカーが欧州進出を目論んでいたことが分かる。
当時のマーケットは実質的に二大マーケットであり、北米以外のマーケットといえば、大西洋を挟んだ欧州マーケットのことを意味した。日本を含むアジアはまだまだグローバル市場の一要因として認識できる時代ではなかった。
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