6月24日、オリンパスが映像事業(カメラやICレコーダー)を切り離してファンドに譲渡するというニュースが流れて業界が震撼した。こう書くとどうしても「オリンパスがカメラから撤退?」「OM-DやPENはどうなっちゃうの?」というニュアンスで捉えられちゃうので難しいのだが、先の話は分からない。決定しているのは、9月末までにカメラ事業を分社化して株式を国内投資ファンドの日本産業パートナーズ(JIP)に譲渡するということ、カスタマーサポートは続けるということくらいだ。
以前からオリンパスは赤字のカメラ事業を売却しようとしているといったうわさはあったので、とうとうそのときが来たか感はあるけれど、譲渡先がNECビッグローブ(今はビッグローブ。KDDI傘下)やVAIOのカーブアウト(事業分割)を手がけた日本産業パートナーズということで、ほっとした人もいるんじゃないかと思う。
CIPA(カメラ映像機器工業会)が出している統計データからカメラの出荷台数をグラフ化したのがこちら。銀塩カメラ(フィルムカメラ)、コンパクトデジカメ(レンズ一体型)、デジタル一眼(レンズ交換型)それぞれの総出荷台数をグラフ化したものだ。
銀塩カメラとデジタルカメラが2003年に逆転。でも2010年をピークに落ち始め、銀塩カメラ時代より減ってるというおそろしい状況が見てとれる。2009年に落ち込んでいるのはリーマンショックの影響かと思う。
ただ、このグラフには大きな欠点がある。今もっとも売れているカメラである「スマートフォン」のデータが入ってないのだ。
2010年のスマートフォン出荷台数はすでに3億台を超えているようだが、この時点で「カメラとみなして良いスマートフォン」はまだそう多くはなかろう。ただ、最近は10億台を超えており、その3分の1と見積もっても……もう圧倒的な存在感である。
「カメラ」がカメラの形をした写真撮影専用機である必要がなくなり、その影響をもっとも受けそうなコンパクトデジカメの出荷台数が激減するのも分かる。
そんな中、カメラ業界も過去に再編はあった。
主なものだけ書き出すと、まずコニカミノルタ(コニカミノルタになる前の話はおいといて)。デジカメ初期はコンパクトデジカメの「DiMAGE」シリーズ、一眼レフの「α」シリーズを持っていたが、2006年にカメラ事業から撤退。デジタル一眼レフ関連はソニーに譲渡され、ソニーのαシリーズとして継続している。徐々にソニー色が強くなり、今やミラーレス一眼の雄となった。DiMAGEシリーズはアフターサービスのみ移管されて終了。
続いてペンタックス。2006年にHOYAによって子会社化され、2011年に光学部門を分離したのち、リコーへ譲渡。コンパクトデジカメはリコーブランドになり、デジタル一眼はペンタックスブランドのまま生きている。
2018年にはコンパクトデジカメ専業だったカシオ計算機がデジタルカメラ事業から完全に撤退。
つまり、ある程度資産のあるレンズ交換式カメラのブランドは生き残り、コンパクトデジカメのブランドは残れなかったということだ。
オリンパスの映像事業もミラーレス一眼を主力とする独立した会社(VAIOのようなパターン)として発展するか、ある程度改革をした上で映像事業を必要とするどこかの傘下に入るのか分からないが、これからのカメラ市場の規模に応じたサイズで生き残ることを目指すだろう。JIPには実績もある。
生き残ると予想をしたところで、その助けになるかもしれないオリンパス製カメラの優れた技術を挙げておきたい。これまでオリンパス機が他社に先駆けて採用し、培ってきた技術はすごいのだ。
いまではミラーレス一眼が主流になってボディー内手ブレ補正が当たり前になってきたけど、初代機からそれを持っていたのがオリンパス。
いろいろと触ってきた中、オリンパスの手ブレ補正機構はすごくよくできてるし、特にスローシャッター時の手ブレ補正は「E-M1」系が一番スゴいと思う。
特に12-100mmと組み合わせたときの強力さは人間堕落レベル。ちょっと絞って夜景ってときでも手持ちで撮れるとか、わけわかりません。
感覚的には1秒くらいなら普通に撮れる。気合い入れて撮れば4秒くらい。
オリンパスに慣れたあとで他社のカメラ……特に一眼レフを使うと「あれ? 手ブレってこんなにするもんだっけ。いかん、注意して撮らねば」となっちゃうくらいで、つまりオリンパスに慣れると人間が堕落するほどすごいのである。
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