就職氷河期が直撃したロスジェネ世代(1970年〜1982年生まれ)。就活が極めて狭き門で、企業や国からも「放置されてきた」世代だ。特にロスジェネ世代の女性は、男性に比べ結婚、出産といったライフステージの比重が高い上に、今ほど男女平等や働き方改革、セクハラ対策の恩恵も受けられていなかった。
まだ残っていた「昭和的な働き方」と不景気の影響をもろにかぶり、男中心の会社社会で生き残りを余儀なくされてきた。そんなロスジェネ女子の働き方や就職にまつわるドラマや、日本の企業社会の問題点を追った。
第1回では、82年生まれの柴田涼子さん(仮名・36歳)にスポットを当てた。現在はITベンチャー企業でコンサル業に就いている。彼女のこれまでの壮絶な軌跡を追った。
涼子さんは、一見、20代にも見えるほどにアクティブで可愛らしい雰囲気の女性だ。
「今まで働いてきた会社は、どれも壮絶ブラックでした。現代の奴隷制度ですよ。北朝鮮そのものだったと思いますね。私は今でも社畜体質なんですが、ロスジェネでこういう経緯で育つと、社畜体質になっちゃうんですよ。やりがい搾取にまんまとハマったと思います」。涼子さんはそう言って、うなだれた。
絵が描くのが好きだった涼子さんは、美術教師を目指して都内の美大に進学。学生生活と並行して、出版社で編集者としてバイトすることにした。当時バイトの日給は9000円。残業代は出ない。
「1日12時間勤務はざらなんです。でも、当時の経営陣ってずるいから、バイトといっても時給じゃなくて、日給なんですよ。なので、時給換算すると余裕で最低賃金以下になる。それがおかしいなんて思わなくて、学生のバイトでも12時出社で終電まで働いてましたね。金曜日は深夜の12時に定例会議があるので、強制的に徹夜になる。それでも当時は、クリエイティブな仕事をしているというギリギリのプライドにしがみついていた感じです」
学生生活とバイトの両立で、それなりに充実した生活を送っていた涼子さんだったが、ある日、転機が訪れる。
自動車の部品製造業である父親の会社が、リコール問題と不景気のあおりを受けて、連鎖倒産しそうになったのだ。妹が大学受験を控えていたため、涼子さんはやむなく大学1年の冬に中退を決意。当時、バイトしていた出版社に契約社員として雇ってもらうことになった。
契約社員時代の月給は額面で20万円。当然ながら、残業代は出ない。手取りだと16万程度だ。アパートの家賃は、月に7万円。都内だと、一人暮らしの女性が安全に住めるギリギリのラインだ。手元に残るのはたったの9万円。いつも生活はかつかつだった。
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