大学生のバイブルともいわれ、東大生や京大生から根強い支持を集める『思考の整理学』(ちくま文庫)。今から30年以上前に発刊され、以降240万部を記録した大ベストセラーだ。コンピュータが社会で大きな役割を果たす時代の到来を予見し、暗記・記憶中心の学習よりも自ら考えることの大切さを説いた。
著者である外山滋比古さんは、95歳の今でも研究を続ける「知の巨人」だ。ペリカンの万年筆で毎日執筆を続けているという。今月上梓した『100年人生 七転び八転び――「知的試行錯誤」のすすめ』の中から3回シリーズで、外山さんの歩んできた道と読者へのメッセージをお届けする。
後編では、外山さんの「アウトサイダー」としての生き方を紹介する。敗戦後に英語教師だった外山さんは、米国が促していた留学に対してそっぽを向いていた。「非留学」の道を守り抜いたのである。なぜ外山さんはそんな選択をしたのか? アウトサイダーとしての価値観に迫る。
戦争に負けて、おかしくなった人間がうようよしていたころのことである。
米国が、敗戦国の若者を自国に留学させてやると言った。このあいだまで、鬼畜米英などと叫んでいたものが、とび上らんばかりに喜んで、貨物船で米国に渡った。大変なブームになって、すこしでも英語のできるものが目の色を変えて、試験を受けて、米国へ行った。
私も英語教師のはしくれである。米国留学に関心がないといえばウソになる。しかし、どうしても、米国へ行く気になれない。
べつに戦争にこだわったわけでもないが、米国にバカにされているのが面白くなかった。われわれは英国のことば、文化に心を寄せ、米国を問題にすることがすくなかった。
タダで留学させるといわれて飛びつくのは、いかにも軽薄である。留学には哲学がいる。その哲学がなくて留学した明治以降の日本のエリートは、ほとんど無為であった。わけの分からぬ一般の人たちから“留学して学を留めた”などといわれた。
そんなふうに拗(す)ねたのである。非留学をひとつの考え方であると思った。
「留学なんか、してやるものか」
そう考えて、英語、英文学への志を新たにした。
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