DXにまい進する企業と、途中で停滞してしまう企業があります。その違いはどこから生まれるのでしょうか? ベニザケとヒメマスの生態と、DXに取り組む企業行動は酷似しています。今回は、その類似性に由来する閑話です。
本連載では、筆者らが実施した調査(注1)を基に日本企業のデジタルトランスフォーメーション(DX)の現在地をさぐってきました。今回は筆者がお話をうかがったデジタル推進企業のDX担当者さまの声から、DX実現に必要なものを考えていきたいと思います。
デル株式会社 執行役員 戦略担当
早稲田大学、オクラホマ市大学でMBA(経営学修士)修了。
横河ヒューレット・パッカード入社後、日本ヒューレット・パッカードに約20年間在籍し、国内と海外(シンガポール、タイ、フランス、本社出向)においてセールス&マーケティング業務に携わり、アジア太平洋本部のダイレクターを歴任する。2015年、デルに入社。パートナーの立ち上げに関わるマーケティングを手掛けた後、日本法人として全社のマーケティングを統括。中堅企業をターゲットにしたビジネス統括し、グローバルナンバーワン部門として表彰される。アジア太平洋地区管理職でトップ1%のエクセレンスリーダーに選出される。産学連携活動としてリカレント教育を実施し、近畿大学とCIO養成講座、関西学院とミニMBAコースを主宰する。
著書に「ひとり情シス」(東洋経済新報社)がある。Amazonの「IT・情報社会」カテゴリーでベストセラー。この他、ZDNet Japanで「ひとり情シスの本当のところ」を連載。ハフポストでブログ連載中。
・Twitter: 清水 博(情報産業)@Hiroshi_Dell
・Facebook:Dx動向調査&ひとり情シス
注1:「DX動向調査」(調査期間:2019年12月1〜31日、調査対象:従業員数1000人以上の企業、調査方法:オンラインアンケート、有効回答数:479件)。
デジタル化のプロジェクトを始めてから5年後の今もPoC段階に――。こんな調査結果を「『PoC貧乏』の実態が調査で明らかに 5年前にDXをスタートした企業の65%が『まだPoC未満』」で報告しました。
このカテゴリーに入る企業の特性を今回の「DX動向調査」で調べてみると、幾つかの共通点が存在します。
また何らかの理由でPoC(概念検証)につまずいてしまうと脱出するきっかけがつかみにくいという状況も、調査結果からうかがえました。次の予算確保どころか、今まで投下した予算の投資対効果の説明に苦慮すると答えた企業が多かったのです。
PoCは新しいビジネスモデルやサービスを検討しているわけですから、必ずしも全てが成功するわけではないと、実際にDXを進める立場としては思います。しかし実際にPoCを実施するのは何らかの予算を持つ企業のいち部門ですから、それなりの説明を求められているようです。本来は「次のPoC」の準備を最大限しなくてはいけないと思うのですが、会社員の義務というべき報告作業が足手まといになっているようです。
さらに厳しい状況としてはスタート時にアサインされた要員の問題です。現在は、空前のIT人材不足なので、社内の各部署で悲鳴が上がっています。
ITの人材流動化により従来のシステムのサポートする人材にも枯渇しています。DXに関わる人員は、DXを実現させるための今後の会社の命運を担った「虎の子」の人材であるはずです。しかし、先が見えないPoCを繰り返す中では会社は苦しい判断を迫られます。PoCに時間がかかると、予算や人材共に先細りしていく実態が分かりました。
PoCを突破した企業を調査しました。現在、デジタル推進企業に該当する「デジタルリーダー(デジタルトランスフォーメーションが自社DNAに組み込まれている企業のことであり、最もDXが進んでいる企業)」と「デジタル導入企業(成熟したデジタルプラン、投資、イノベーションを確立している企業)」は、全体の9%に過ぎません。
「デジタル評価企業(デジタルトランスフォーメーションを徐々に採り入れ、将来に向けたプランを策定している段階の企業)」でPoCなどを実施している企業は44.1%います(「44.1%の企業がDXのPoCフェーズ、日本企業は「DX夜明け前」なのか?」参照)。希望もあるとはいえ、PoCの段階に滞留している期間が長いです。
DXプロジェクトをスタートしてからデジタル推進企業が現在の位置に到達するまでの期間を調べたのが以下の図です。
デジタル推進企業の83.9%が平均2.5年でPoCを終了していることが分かりました。PoCに5年以上滞留する企業と対照的です。このデジタル推進企業と全体の平均ではさまざまなことが異なっています。
人事政策やリモートワーク、開発手法などで大きな違いが調査結果で確認されました。その違いについては別途、稿をあらためて報告します。
今回は、デジタル推進企業が「2.5年」の期間でPoCを実現した点にフォーカスした閑話です。閑話とはいえ、DX実現を狙う企業の状況とあまりに酷似しています。
それは、ベニザケとヒメマスという魚の話です。ご存じの読者がいるかもしれませんが、ベニザケとヒメマスはもともと同一種です。ベニザケは湖に注ぎこむ川の上流で生まれ、川から湖に下りてきて、湖で1〜2年過ごします。その後、湖から流れ出る川を下って海を目指し、やがて大航海に出ます。海で2〜3年かけて成魚となって、生まれた川に戻ってくるのです。この「成魚になる期間」と「デジタル推進企業がPoCを突破する期間」がほぼ同じなので、今回インスパイアされたというわけです。
一方のヒメマスは河川部に残り、「陸封型」と呼ばれて生涯を川で暮らします。
海から帰って来たベニザケは顔がいかつくなり、体も強大になり、川に居残ったヒメマスを蹴散らします。川に戻るころのベニザケはヒメマスの倍ほどの大きさに成長しています。それまで、ゆっくり川で生活していたヒメマスにとっては全くの想定外の「ディスラプター」の登場です。ヒメマスはえさ場を奪われて逃げ回ります。
なぜ、同一個体なのにこうも変わるのでしょうか?
もともと同じ個体なのですが、実は生まれた直後はヒメマスのほうが大きいそうです。逆にベニザケが小さいです。そのため、体が大きく暴れん坊のヒメマスにベニザケが追いまくられます。かわいそうなことに、ベニザケは生まれた瞬間から隣にディスラプターがいる生活を強いられるのです。川でも湖でも小さいベニザケの子どもが餌場を見つけて静かに食べていると、いつもヒメマスが来て「どけー!」と餌場を荒らされます。そして命からがら海に出てきたのです。しかし、海に出ても常に危険と隣合わせなので、命を落とすことも多いと思います。強烈な生存競争から生じた自然界のストーリーです。
筆者は以前、2〜3年でデジタル推進企業となったDX担当の方から「実は5年程前、会社はとても厳しい状態で何とか脱却しなければならなかったのです」というお話を伺ったことがあります。デジタル推進企業には、有能なスタッフが無尽蔵にいて予算も多い会社のイメージを抱いていたのですが、実情は違いました。
「自分達が破壊的イノベーターにならなければ戦いに負けてしまう」という強烈な危機感を持った行動であったのだと分かりました。まさにベニザケそのものです。そこに行くまでは想像を絶する道のりがあったと思います。
一方、PoCで苦労しているはずの会社の方にお会いすると、とても明るく「DXは難しいですよねー」とニコヤカにお話されます。しかし、こちらの会社も新聞などでは最高益を出していると報道されています。PoCの課題がありますが、優良企業です。
一流の経営コンサルタントの方の中には「未来永劫ディスラプターが来ない会社もある」と仰る方もいます。PoCで苦労している企業の全てが、ヒメマスと同じ状況だとは思いません。DXも必要ないのかもしれません。しかし、井の中の蛙と同じで、予測不能の現代社会では想像しないディスラプターがいつ登場しても不思議ではありません。
人材や技術、予算、リーダーシップなどDX実現にはさまざまな制約条件があると思います。しかし、一番の原動力はその「思い」なのかもしれません。
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