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フジ『ザ・ノンフィクション』プロデューサーが明かす「人殺しの息子と呼ばれて…」制作の裏側「視聴率No.1宣言」をする真意(1/2 ページ)

» 2019年05月23日 05時00分 公開
[田中圭太郎ITmedia]
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 会社や所属の枠を超えて記者や編集者が一緒に議論する「報道実務家フォーラム拡大版」が、2019年4月26日から28日までの3日間、早稲田大学国際会議場で開催された。

 フォーラムでは、社会にインパクトを与える報道や番組を手掛けた記者・ディレクターが講師として登壇する。28日には、フジテレビ系のドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』のチーフ・プロデューサーの張江泰之氏が、2017年10月に放送した「人殺しの息子と呼ばれて…」の取材アプローチについて、他社のディレクターや記者らとディスカッションした。

 「人殺しの息子と呼ばれて…」は北九州連続監禁殺人事件の加害者の「息子」のインタビューで構成されている。この事件は1996年から98年にかけて、北九州市のマンションで男女7人が死亡していたことが2002年に発覚。松永太死刑囚と内縁の妻だった緒方純子受刑者が、緒方受刑者の親族らに虐待を加えて多額の現金を得た上、6人を殺害し、1人を死亡させた。

 凄惨な虐待を加え、遺体を解体して遺棄するといった犯行は残虐極まりないものだった。松永死刑囚と緒方受刑者の間に生まれた「息子」は当時まだ幼かったが、自らも虐待を受け、遺体の遺棄を手伝わされたことをインタビューで明かしている。

phot 右奥がインタビューを受ける「息子」。手前左が『ザ・ノンフィクション』プロデューサーの張江泰之氏

 番組は2017年10月に2回に分けて放送され、後編の番組平均視聴率10.0%を獲得(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。日曜午後放送のドキュメンタリーで7年ぶりに2桁視聴率を記録し、大きな反響を呼んだ。

 フォーラムでは番組を視聴したあと、張江氏が参加者からの質問に答えて、「人殺しの息子と呼ばれて…」制作の裏側や、ドキュメンタリー番組が視聴率にこだわる意義などについて語った。張江氏の話と質疑をもとに、編集部で改めて全体をQA形式に構成し直したものをお届けする。

phot 張江泰之(はりえ・やすゆき)フジテレビ情報制作局情報企画開発センター専任局次長。1967年、北海道生まれ。90年、NHK入局。報道番組のディレクターとして、『クローズアップ現代』や『NHKスペシャル』を担当。2004年に放送した『NHKスペシャル「調査報告 日本道路公団〜借金30兆円・膨張の軌跡〜」』で文化庁芸術祭優秀賞受賞など受賞多数。05年、フジテレビ入社。『とくダネ!』やゴールデン帯の番組を担当し、現在『ザ・ノンフィクション』のチーフ・プロデューサー。近著に「人殺しの息子と呼ばれて」(KADOKAWA)

合計10時間のインタビューを前・後編で放送

――番組にはどのような反響が寄せられましたか。

 フジテレビに寄せられた反響は、近年まれにみる量でした。9割9分が称賛で、手紙は数百通もきました。ネット上も応援する声が多かった。やってよかったなと素直に思いますね。

――なぜ反響がよかったと思いますか。

 視聴率は2回にわたって放送して、1回目が6%台、2回目が10%台でした(編集部注:前編6.3%・後編10.0% ビデオリサーチ調べ 関東地区)。風が吹いているなと思いましたが、視聴率がよかった理由はいまだに分からない。作った本人にも分かりません。謎ですね。

 ただ言えることは、「ザ・ノンフィクション」はこの事件に限らず、市井の人々がもがき苦しみながら今を生きる姿を追いかける番組なのですが、インタビューを通して、「息子」から語られた言葉は、一般の方が知らない世界です。そこへの共感も含めて、関心を持たれたのかもしれません。

――構成はどのように考えたのでしょうか。

 5時間を2回、合計10時間インタビューしました。2回やると決めて、必死でした。インタビュー1本勝負と決めて、誠実に作りました。毎週誠実に作っていますが。でも、 息子へのマイナスの風が吹くことを恐れていましたね。

 インタビューは使えるところはほとんど使いました。ナレーションは、あえて私の1人称にしました。これがベストの作り方かなと思っています。

なぜ「息子」を取材したのか

――「息子」は地元の報道陣も配慮して取材しなかった人です。どうして取材しようと思ったのですか。

 今だから言えることだと思うのですが、きっと本人の中に発信したいという思いがあったんですよ。自分が生きてきた人生を、こういう人間もいるのだということを、知ってほしかったのだと思います。

 最初のきっかけは、本人からの苦情電話でした。北九州連続監禁殺人事件の加害者の1人で、本人の母親である緒方純子受刑者を扱った「追跡!平成オンナの大事件」(2017年6月9日放送)という僕が担当した番組に対して、「なぜ、そんな放送をするのか」「放送するのであれば、なぜ自分にアプローチしなかったのか」と苦情を申し立てられました。最初に電話を受けたとき、理路整然と追い込んでくる息子の声を聞いて、これは24歳の話しっぷりではないと思いました。

phot 小学校時代によく通った公園を歩く「息子」。事件後に生活した養護施設の近所にある

――そこからどのような経緯でインタビューをすることになったのですか。

 本人からはその後もたびたび電話がかかってきました。会話の中で「もし伝えたいことがあれば、知り合いの出版社を紹介するよ」と伝えました。すると「それはいやだ」「大人は信用できない」と拒否していました。その一方で、僕と何度も話しているうちに、一発勝負に出てみようと思ったのではないでしょうか。

――本人を番組の中で「息子」と表現しているのはなぜですか。

 この番組をつくるきっかけになったのが母親である緒形受刑者を取り上げた番組であり、本人の母親に対する印象は、番組の一つの柱です。AさんやBさんといった表現もあると思いますが、あくまでも「息子」でいこうと。それ以外は考えませんでした。仮名をつけるよりも、「息子」でいこうと。ただ、2018年7月にKADOKAWAから出版した『人殺しの息子と呼ばれて』では、「彼」と表現しています。

――「息子」は、母親への憎しみが強かったのでしょうか。

 僕自身、息子の母である緒方純子受刑者から本人に送られた手紙を読むと、衝撃を受けました。ごく普通の女性なんです。なんでこうなってしまったのかと思ったほどです。そんな母親を、息子は理屈ではなくて、好きなんですよ。会いに行くわけですよ。無期懲役なので、緒方受刑者は、出所してくるかもしれません。そのときにどうするのか。一緒に住まないといけないかもしれません。

――取材時間を5時間ずつ2回と決めた理由は。

 彼も仕事がありますし、僕も疲れます。物理的な理由と、心の理由ですね。特にどこまでというのも決めずにやっていて、きょうはこの辺でやめておくか、という感じで切り上げました。

 もちろん不安はありましたよ。1回目を終えて、もう1回本当にインタビューできるのかなとか。

――1回目と2回目の間は、どれくらいおきましたか。

 1週間おきました。家の中はやめてほしい、彼の奥さんにも迷惑がかかるということでしたので、ホテルの部屋の中で聞きました。外で聞くわけにもいきませんから。山に登るシーンがありますが、あそこは誰もいない場所です。リスクを考えて撮影しました。

――張江さんにフランクにしゃべっている場面がありましたが、撮影する過程で変化があったのでしょうか。また被害者に対してはどう思っていたのでしょうか。

 被害者には申し訳ない気持ちでいっぱいだと、何度も言っていました。ただ、この事件は、被害者の多くが身内でしたので、あえて息子の謝罪の言葉は番組の中では使いませんでした。

 フランクなやりとりは、普段からあります。彼とは電話とLINEでやりとりしています。茶目っ気たっぷりなところもあるんです。わざと、僕を心配させるようなことをLINEで打ってきて、こっちがいさめると「ほーら怒った」なんてメッセージが返ってくることもあります。

――親と同じ血が流れていることに息子が「ぞっとする」と言うインタビューがありましたが、言葉が短かったと思います。その理由は。

 いつ自分のリミッターが外れて、同じことをするか分からない、という意味で言ったと思いますが、「ぞっとする」の部分はそれ以上話していませんでした。

phot 「息子」のインタビューはホテルの部屋で2回にわたって行われた

「インタビューだけで番組ができる」と確信

――息子はインタビューに対して流暢(りゅうちょう)に話しています。なぜこれほど話すことができるのでしょうか。

 なぜ彼がここまで言葉を持っているのかについては、当初、僕も違和感を持ちました。言葉で親族を支配していった、松永死刑囚の息子だからなのでしょうか。でも、壮絶な人生を孤独に生きてきたわけですから、自分なりの言葉を持っているのだと思うようになりました。

――チーフ・プロデューサーである張江さんが自ら取材されたのはなぜですか。 

 自分がやるしかないと思いました。自分が制作した番組に対して文句を言ってきたので、自分で聞いて、取材しようと思いました。

――「息子」1人の発言だけに乗っかることの怖さはありませんでしたか。また、発言の確認や周辺取材はしましたか。

 腹をくくろうと思いました。あれだけの大事件を起こした松永死刑囚と緒方受刑者の子どもですから、1時間では、語り尽くせないだろうと思い、他に取材はあえて一切しませんでした。

 ただ、インタビュー直前に、息子の後見人の男性と話をしています。その方は、相当不安だったようで、3時間くらい話をしました。周辺取材をすることも確かに必要なことだとは思いますが、これまでの経験と自信から、インタビューだけで番組は作る事ができると思っていました。

――これまで取材をした経験では、虐待を受けて大人になった人は、嘘(うそ)をついたり、大人を試したりするケースがあります。なかなか1人のインタビューをよすがに番組をつくるのは、怖い部分もあります。後見人の先生の話以外に、裏をとったことはありましたか。

 その質問は、いろいろなところで聞かれます。自分が取材者として何十年もやってきたカンでしかないです。嘘をついていないのかなんて息子に聞きませんでした。話を聞いていると、本当なのかなと感じることもあって、そこは嘘じゃないと信じるしかない。嘘だったら僕が責任をとればいい。僕が腹をくくればいいだけです。そうしないと、こういうすれすれの微妙な番組が出てこないのではないかと思います。問題があれば責任をとればいいと思っていました。

phot 流暢に話す「息子」が張江氏にフランクに話す場面も

――「息子」は事件やその後のことを、張江さんより前に、誰かに話していないのでしょうか?

 後見人には話しています。自分の悩みをぶつけていたそうです。後見人は、一度生活保護を受給させたと話していました。でも一緒に暮らしたことはなく、金を貸したことはないそうです。

 加害者の家族をどうするか、番組ではその点を喚起しようとしたところもありますが、今、わが国では、そこまでの議論にはなっていません。考えていかなければいけない、大事なテーマだと思っています。

――最後のナレーションで「これからも見守りたい」という言葉がありましたが、継続取材をしているのでしょうか。

 継続取材のタイミングは、2つあると思っています。1つは松永死刑囚が死刑になったときにどうしようかと。もう1つは、息子が世間に顔を出すとき。いつ、顔を出せるのか、腹をくくるときがくるのかどうか。この2つのタイミングで、何を取材するか考えています。

 重いものを背負った人の取材は、心のエネルギーも消耗します。でも、この業界、テレビや報道ってそういう仕事じゃないですか。いまも継続取材をしている人はいっぱいいます。御巣鷹山の日航機の事故でも、ご遺族の方とも今もつきあっています。これは宿命ですよね。その人と向き合うことが仕事というか、使命だなと思いますよ。

phot 張江氏は「息子」を「これからも見守りたい」と継続取材も考えている
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